「くだらない」の中にある何か

考えの整理、ネタ集め、気づきの備忘録、日記などなど

一年の計は元旦にへの賛否について

続・抱負や目標

先日のエントリにて、「新年の抱負や目標は立てない」ということを書いておりました。

抱負や目標 既に迎えた2017年ですが、世間に倣って、「抱負や目標を」と思いもしたのですが、 こうやって新年に立てられた目標の内、達成されるのは8%であるというデータも出ているし、 過去の自分自身と照らし合わせても

2017年のはじまりに - 28歳からの自由研究

が、僕自身は、「一年の計は元旦に」ということに決して否定的な訳ではないんです。

 寧ろ、特に、私も含め、暦に従った働き方をされているビジネス人の皆さんにおいては、
良き月や期の変わり目と一定の期間の休暇が重なるのは、一年の中でも年末年始休暇くらいでしょうから、
旧年を振返り、新年を気持ち新たにスタートと意気込む様は自然な流れだなと感じています。

それでもやっぱり、「目標は立てないな〜(正確には、立てられないな)」と思うのは、
「◯◯をやります」「△△に挑戦します」というのは、目標に縛られそうで息苦しそうに感じるのです。

それに、世の中が目まぐるしく移り変わり、処理出来ないほどの情報に触れる現代において、
「新年の目標」に一途に、直向きに取り組み続けることの方が難しいとすら思っています。
それに、外部からの監視や報告義務もありませんから尚更です。RIZAPの付加価値の源泉はここでしょうか。

勿論、人生で成し遂げたいこと、僕は「研究テーマ」と呼んでいます、が明確に定まっており、
「その実現に向けてこの一年を使うのだ」という本懐なのであれば、殊さら素晴らしく、
もっと言うと、羨ましさすら感じます。僕はまだまだ自由研究の域なのです。

漢字一文字の柔軟性が丁度良い

こんなことを考えて、目標設定から目を背けていた最中、まさにうってつけの「一年の計」の立て方があった。

そう、漢字一文字。

ちなみに、漢字一文字と聞いて多くの方が連想するのは、メディアでも放映される「今年の漢字」ではなかろうか。
こちらは、新年ではなく、その年一年の世相を表した漢字として、12月12日の漢字の日に発表されているもので、
日本漢字能力検定協会が1995年以来行っているもののようだ。

余談はここまでにして、話を「新年の漢字」に戻す。

この漢字一文字が丁度良く感じる理由は、漢字が故の含蓄の持たせ易さ、
そして、その含蓄によって、具体性はないが方向性は指し示せるという、何とも都合の良い塩梅であることだ。

「こんなことは大切にしたいな」という方向付けは、個人的には、新年の計にぴったりなのである。

さて、かく言う僕が選んだ新年の漢字は、

「外」

この一文字には三つの意味を込めている。

  1. 「外」からしかお金は頂けない。だからこそ、とことん外向きの価値提供を。
  2. 「外」から大いに学びなさい。インプットなき者から、良質なアウトプットは生まれない。
  3. 「外」から情報を得る行動をしよう。世の中は広くて面白い、ということを伝えられる上司であれ。

1.について、

仕事は詰まるところ課題解決であり、解決を通じて生み出された付加価値の対価が売上なのだろう。

僕のように法人営業に携わっている者であれば、課題解決の対象である法人顧客が「外」であり、
さらにマネージャーの役割から考えれば、顧客の市場や業界を「外」と捉える必要があるだろう。

つまり、僕は、顧客の市場や業界に対しての価値提供をテーマの1つとしたのだ。

2.について、

記憶に新しい自身の失敗経験として、昨年2016年8月〜10月まで預かった組織の大きな業績下落がある。
大げさでもなく、当時の3ヶ月間は表情や言葉に覇気も生まれず、周囲の上司やメンバーからさえも心配の声を掛けられてしまう始末になっていた。

感情のバランスを失ってか、ピーク時には、電話越しの上司に2時間もの嗚咽を聞かせ、
電車の中で急に涙が止まらなくなったり、いよいよ限界を感じずにいられなかった。

思えば、その時点で自らが意思を持って退くべきだったのだろう。
リーダーの役割は「そこに居る」ことではなく、「事を前に進めること」であると今は強くそう思えるからだ。

少し前置きが長くなったが、ここで伝えたいのは、「外」からの学びについてである。
引き合いに出すには少々憚られるが、日本電産 永守社長の学びの話を先に引き合いに出しておく。

世界を襲った2008年秋のリーマン・ショック。積み重ねた経営ノウハウだけでは乗り切れないと感じた。

会社がつぶれるかもしれないと思いました。行き先を言わず、1ヶ月ぐらい図書館通いをしました。
乗り切れるヒントは自分で探すしかほかありません。

世界恐慌で1930年代に多くの会社が潰れたのに、業績が急回復したところもあったのです。
当時の海外の新聞、雑誌、関連する書籍を片っ端から当たりました。様々な資料の中にポロポロと出て来る米ゼネラル・エレクトリックなどの対応策がとても参考になりました。

そして、売上が半分になっても赤字にならない手法を編み出し、「賃下げをする。しかし、解雇はしない」と真っ先に発表、グループで危機感を共有し、士気を高めました。

-日経電子版 リーダーの本棚(インタビュー) 2011/10/30赤字

2008年時点において、永守社長は36年もの間、経営の舵取りをされていた。
にも関わらず、自身のこれまでの経験では太刀打ちが出来ないと悟るやいなや、
すぐさま、「外」へと学びを獲得しに出向いている。

ここに来て僕自信の失敗に立ち返るが、僕の失敗の大きな原因は、
外からのインプットに時間を使わず、持ち得る力を精一杯振り絞り、何とかしようとしてしまったことである。
経験の前例もなく、対策となるインプットも持ち合わせていなかったのに。

結果的に、組織内のメンバーも事業も自分自身も、誰一人としてハッピーに出来なかった。
猪突猛進が美徳ではない。学びを得るために足を止めること、これもまた、解決の一歩になるのである。

「外」から学び、自分の蓄えを増やす、そんなタイミングに差し掛かっている。

3.について、

上記の一件を経て、自分自身にマネージャーとしての存在意義を問うてみた。
メンバーにとってではなく、自分がメンバーだったらどんなマネージャーと働きたいかと考えてみた。

行き着いた答えの1つに、「社内にはない知恵や知識を持ち合わせたマネージャー 」を挙げた。
社内にはない叡智が組織に革新を生み、非連続の成長をもたらす起爆剤となる。
そういったものに、マネージャーが積極的に取り組む組織はメンバーへの刺激も創出できるのだろう。

組織や個の変化や成長に与することが出来なければ、マネージャーは不要だと思う。
ここに、強い危機意識を持ち、自身の指針として、「外」からの情報獲得に取り組んでいくことを誓いたい。

以上、長々と書き綴ってきたが、漢字一文字「外」を持ちまして、
私の2017年の所信表明と変えさせていただき、掲げたテーマに対して、ゆるりと取り組んでいきたい。